2013年9月11日水曜日

バラナシでの日々(後編)

インド人の執拗なまでに容赦ない視線。熱い。
時折困惑してしまうけれど、今日も負けじと元気に見つめ返してやる。ナマステ!
煙草に火を付ければ1本くれと、二言目にはハッパは要るかい?と。寄ってくる寄ってくる。

前日ボートから眺めたケダールガートへ足を運んだ。


火葬を終えた家族たちが沐浴をし、家に帰るらしい。このきれいとは言えないガンジス川で釣れたばかりの魚を、自慢気に見せてくれた彼が話してくれた。


ふむふむと聞いていると、いつの間にか大勢に囲まれていたりするのは日常茶飯事で。
またみんな一斉に喋り出すものだから、話はめちゃくちゃ。同じ話を何度も何度も聞く羽目になる。


その間も次々と川へ飛び込む人々。それはとっても気持ち良さそうに見えるのだけど、一緒になって飛び込む事はやっぱり出来なかった。

その横では物乞いの親子が体を洗ってる。日本ではホームレスって、一人者が多いけれど、ここでは家族全員が路上生活者なのだから、またショックを受ける。
降り出したスコールで道路は浸水、散らばったゴミや糞で酷い状態になる。それでも家も職もない人々は路上で暮らす。



バラナシでは宿と町とをサイクルリキシャで何度も往復した。


棒の様に細く真っ黒に日焼けした運転手の足は、大人3人を乗せて、えっちらおっちらペダルを漕ぐ。
若い子はやっぱりすいすいとスピードが早く、白髪交じりのおじさんだと何だか申し訳なくなり、下りたくなってしまう。
すぐに初めて乗った時の半分の運賃で乗れる様になった。相場が分かるとついつい10ルピーでもと値切りの交渉を始めてしまうけど、その足で1食200ルピーもする日本食レストランへ向かうのだから、何だか本末転倒だと思う。ちなみに今回泊まった宿は1泊200ルピー。

暗くなる前に帰っておいでと、宿のスタッフに言われた通り、毎日早めに帰宅した。太陽が沈み気温がいくらか下がると野犬が騒ぐらしい。

宿に戻ると何にもない屋上へ上り、大の字になる。目の前にはガンガー。どう見ても汚い川なのに、夕暮れ時はキラキラと輝いて見える。


インド人が愛する聖なる河は、つべこべな私をぐるっと丸ごと飲み込んでくれる様だ。

牛が闊歩する光景も、ゴミの山を漁る裸足の子供たちも、ポイ捨てする煙草の火も、すっかり見慣れてしまったけれど、やっぱり日本人の私には変なんだ。うん、嫌なのかも知れない。

日本の当たり前もインドの当たり前も、それは両者とも面白くて、可笑しくて、悲しくなる事もあるけれど、大き過ぎる河を眺めていると、いよいよバカバカしくなって来るのだ。
さて、夜は長い。ビールでも飲むか。それにしても、インドはビールが高いよなぁ。


つづく。

バラナシでの日々(前編)

チャイ色をした河、母なるガンガー。


その恐ろしい大きさと流れの早さにぎょっとした。
ボートに揺られ、対岸から昇る朝日を背中に浴び、沐浴風景を眺めた。日の出と共に一様に沐浴を始めるその光景は静かなのに、不思議な迫力があった。


火葬場では今日も遺体が焼かれていく。白い灰がヒラヒラと宙を舞い、風に乗る。人間の体はこんなにも良く燃えるのかと、驚く。
煙は登り、頭上に濃縮された空気は淀んでいる様に、見えた。何だかクラクラする。
故人は今頃、どこの世界へいったのかな。呆気にとられていた。


蒔代を請求されても払わなくていいと、宿のスタッフに教えられた。けど、ここで火葬されるのを待つ、死を待つ、小さな老婆が手を差し伸べて来る。
横に立つ若い男が片言の日本語で金を払えと言った気がしたけれど、知らん顔でその場を離れるしか出来なかった。どうやら寄付を募っているらしいけど、真相は不明だった。


バラナシの町は一歩立ち入れば、巨大迷路に迷い込んだ様に、方向感覚を見事に失う。


狭い道には溢れかえるゴミに糞に漂う悪臭、強いお香の香り。
人に牛に犬に山羊に猿に、そしてここにも横たわる人、いつになく混乱した。何なんだ、ここは。

人集りの先には牛様がお構い無しに道を塞ぎ、人間は立ち往生している。ドボドボと豪快なトイレタイムが始まった。いつ見てもマイペースな牛様に、人間のペースなどまったく通じないのだ。

歩けば歩く程、迷子になり、気づくとメイン通りに飛び出てしまった。

再び町へ飛び込む。更に奥へと溶け込んで行けば、引っ切り無しに声をかけられる。適当に挨拶を交わし、お土産屋さんをひやかし、探していたラッシー屋さんに辿り着いた。
しばしの休憩。観光客がたくさん集まる「ブルーラッシー」と言う繁盛店は噂通り、今まで飲んだラッシーの中で断トツの美味しさだった。ここでもチャイ同様、使い捨ての容器だった。



つづく。

2013年9月8日日曜日

コルカタでの日々

進行方向へゆっくりと進み出す。

ホームにしゃがむ人々を追い越し、隣の線路が顔を出す頃、少しずつ速度が上がり始めた。バラナシへ向かう。

2Aの寝台列車は快適そのものだった。
車内を回って来たチャイ屋さんとご飯屋さんを捕まえて、夕飯にする。


チケットの確認に来た駅員さんにタバコは吸えないか聞くと、こっそりトイレで吸えばいいと教えてくれた。
こうゆう所好きだなぁと、早速トイレへ入った。


某ガイドブックにもばっちりと書いてある、日本語を話せるインド人はみんな悪い奴ってさ。
騙されてから、犯罪に巻き込まれてからでは遅いから、頭にはしっかり叩き込んであるつもりだ。けれど、そうでもないらしいぞ!と言うのが、私の感じた印象。

そんな事のすべても頭の良いインド人たちは知ってる様子だったけど。


闘病中にヒロちゃんがナンパされまくったインド人たちはいい奴ばかりの様で、私はヒロちゃんの連れの体調の悪い友だちと言う事で、
元気になった?とか、今はタバコは吸わない方がいいとか、こないだは薬をあげられなくてごめんとか、とりあえず酒飲んじゃうかとか、
そんな風に声をかけられた。

何が悪くて、何が良いのか判断するのは結局自分だから、気の向くままに話し、嘘つかれたり、嘘で返したり、笑ったり、怒ったり、表情豊かなインド人と話す事が楽しくなって来た。

そう言えば、ハウラー駅へ向かう時、たまたま近くに居たインド人2人とタクシーを乗り合いする事になった。
駅に着くと折半するはずだったタクシー代を君たちはゲストだからとさらっと払ってくれ、私たちのチケットを見てプラットホームを案内してくれた。
広い構内、心配していた初列車だったので、心強くとても助かった。こんな優しい出来事を最後にコルカタから見送られた。

思う様に動けず、何だかモヤモヤしていたインドのスタートだったけど、車窓からぼんやり田園風景を眺めていると、次の町への嬉しい緊張感に自然と気持ちが高まってきた。




つづく。

2013年9月2日月曜日

体調不良の日々

雷が鳴る、頭の中で。

インドに着いてから、謎の病で完全にやる気を失った。新しい土地に来たのに、ワクワクもしなければ、ゾクゾクもしない。
しかも、ここは待ちに待った念願のインド。1番楽しみにしていたと言っても過言ではないのに、どうしたものか。

翌日には更に追い討ちをかけるかの様に、これまた謎の頭痛に悶え苦しみ、ベッドから起き上がる事さえ出来ずになってしまった。
ズドドドドと、止まない雷に頭を抱える。割れそう。

早くもインドの洗礼か、と格好よく言いたい所だけど、予想外のダウンぶりにとにかく気分はみるみる落ちていく。

宿のみんなはマザーハウスのボランティアへ行ってしまった。
1人気が乗らず、ベッドの上で1日を過ごした。さっき飲んだばかりの薬は2時間もすれば切れる。もう嫌だ。


2日経ち、サダルストリートのそれは高級ブティックホテルに宿を移動した。自宅療養と決め込み、ベットに沈んで計4日が経っていた。
発熱と腹痛も加わり、ギブアップ寸前。あーん、日本帰りたい!弱々しく呟く。

そして、病人とは言え手持ち無沙汰だ。
しかし、ひとたび外へ出てみたら、ぶっ倒れそうになったので、仕方なく部屋で本ばかり読んで居た。
気分だけでもと、マザーテレサの本と不可触民の本を読んだ。合わせて、何冊かの電子書籍をまとめて買い、不貞腐れた様にベッドに寝っ転がる。

日本から持参した薬を飲み切ってしまい、ヒロちゃんにインドの薬を買って来てもらう。


その晩飲んだその薬が効いたのか、ようやく少し英気を取り戻し、そうとなると今度は一気に外へ出たくて仕方なくなって来る。

もうあの謎の病の方は治った様だぜ!

身の回りの溜まった用事をテキパキと片付けられると、健康な体あってこそと改めて思わされるのであった。ハハハ。

町中をうろちょろ嗅ぎ回っていたヒロちゃんから、面白い話をたくさん聞いた。とりあえずコルカタを出て、バラナシに向かう事になりそうだ。

早速列車のチケットを買いに出れば、窓口は休み。朝起きれば、久々の豪雨。
足止めをくらってばっかの再スタートはのんびりと始まった。



つづく。

2013年9月1日日曜日

ネパールでの日々

Resham Phiriri〜
どこからともなく流れてくる、あの唄。
何度も口づさんだ、あの唄。
みんなで歌ったあの唄を鼻歌に、飛行機を待つ。


1ヶ月過ごしたネパール。
カトマンズ、チトワン、ポカラ、ナガルコット、と各地を回った。

山に囲まれ自然豊かなネパール。
排気ガスと埃にまみれたネパール。

山だらけ、ゴミだらけ。

これからインドに行くと話すと、その後はまたネパール戻って来るんだろ?と、言い返された。
そのつもりでいる事は内緒なのにと、笑ってしまった。


家庭料理のダルバート・タルカリを毎日の様に食べていた事を思い出す。

最初こそ出されたスプーンで食べていたのだけど、手を使う食べ方を教わってからは、どこでも手を使う様になった。
その姿が滑稽なのか、笑われた。そして、君たちは手で食べるのかい?と、喜んでくれた。

スプーンで食べる味と全然違うその味は正にハンドマジック。指先で米や野菜の触感も味わう。何でもっと早く教えてくれなかったのと、抗議したい程だ。

ネパール人の様にはいかないけれど、食事を重ねる度にずいぶんと上手くなった気がする。

やっぱり食は元気の源だ!
腹が減っては旅が出来ぬと言わんばかりに、もりもりとおかわりをした。このダルバートのおかわり自由と言うシステムもまた大食い2人には嬉し過ぎたのだ。


気温の下がった夜の水風呂には毎晩こたえた。ホテルのスタッフに泣きついてはみたけど、どうにもならない事は仕方ないのだ。昼のうちにシャワーを浴びればいいとアドバイスされ、昼のうちなら水でも何とかなるなと、納得させられた。

昼夜関係なく、繰り返し起きる停電。
ロウソクを灯して暗闇を過ごすのも悪くないね、なんてロマンチックに浸って居られるのも束の間、電気がついた時はやっぱりホッとしたもんだ。


旅を続けて、色々な不便に慣れてきた。もちろんこれは旅だからであって、暮らすのとはまた違うのだけど。
たくさんの知恵をもらった。一昔前の日本の暮らしの様な懐かしさがいつも心地がよかった。

ほんとしっくりくる国だった。
どこへ出かけても、人懐っこく寄って来る人々は私たちの胸を躍らせ、時には心配してくれ、優しく迎えてくれた。
人と人との付き合いなんて、やっぱり単純なものなんだと、改めて教えてくれた。

内緒にしていたけど、この国へまた戻って来る事は、もう決まっているのだ。


何人の人にタダイマと言えるだろうか。そんな事をうっとりと考えていると、またあの唄がどこからともなく流れて来る気がした。


つづく。