2013年8月23日金曜日

ナガルコットでの日々

続々と人が流れ込んで来る。

収穫した作物の入ったずた袋の上に上手に腰掛ける人、譲り合いながらそれぞれ器用に居場所を見つける。

わずかな隙間にここへ座れとお姉ちゃんが声をかけてくれた。お尻をねじ込み、何とか私も席を確保。

ナガルコットまではローカルバスを乗り継いでやって来た。
オフシーズンの今はツーリストバスはないらしい。すっかり楽してツーリストバスばかり使っていたけど、やっぱりローカルは面白いし、断然安い。
2時間半〜3時間先のナガルコットまで、70ルピー!70円だ。

バスを仕切るお兄ちゃんが車体を叩けば、それが出発、停車の合図。
途中下車を繰り返し、ぐんぐんと坂を登り着いたこの町は標高2100mの所にある。寒い。

早速バス停で声を掛けられた人にホテルを案内してもらう事にした。

途中、旅人の間では有名なとんねるずの憲さんそっくりの憲武カフェの主人にも遭遇。
その後、お店を訪ねたが、本人は不在でまたお父さんそっくりな二男が、名物のチーズオムライスを作ってくれた。凄いボリューム。



その夜、10時を回った頃からホテルは場末のクラブと化した。
レストランを閉めた途端、爆音の音楽を流し出す。
スタッフ、その友だち数人が踊り狂う。もちろん汗だくで一緒に踊る羽目になる。エンドレス!


様子を見計らって、逃げる様に部屋へ戻った。

オフシーズンの今は毎日ひまそうにしてたし、観光客を捕まえては夜な夜なこんな調子なんだろうな。


翌朝は展望台までバイクで連れて行ってもらう。運が良ければヒマラヤが見えると聞いた。

朝5時、部屋のドアを開けると、外は真っ暗。持っていた厚手のパーカーに袖を通すも、まだ寒い。
バイクで切る風がまた冷たく、眠気が覚める。


四方に広がる雲海はとても神秘的だった。徐々に太陽が登り、ほのかにオレンジ色に染まる。

ヒマラヤ山脈は緩やかに続くのに、一つ一つの山は険しく厳しい表情をしている。かっこいい!


この時ガイドをしてくれたのが、実は憲さんの長男だった。

彼は自分の村の言葉、ネパール語、ヒンドゥー語、英語を話し、
日本語と中国語を勉強している。韓国語とフランス語も少し話せる、26歳。
日本人の観光客が減った今は中国語を頑張って覚えてるのだとか。それもこうやって観光客と話して、覚えるのだと言うから驚いた。

いつか日本で働いてお金を作り、ナガルコットの高台にホテルを建てるのが夢。日本に行く費用として、50〜70万位を今は貯めてると。

今回も日本人が来た事を聞きつけ話をしたいと、ガイドをしてもらう事になった。

頭が上がらない。

何度も受けたカルチャーショックだけど、今回は色々重なって、少し疲れていた。

彼を紹介してくれた人こそホテルを案内してくれた人で、日本に5年間住み飲食店を経営していたと言う。日本語もペラペラ。
だけど、日本から戻って来てから様子がおかしいと住民たちは言っていた。

確かに昼間から酒臭いと思っていたら喧嘩を起こしたり、私たちは付きまとわれたり、少々厄介な付き合いになってしまったんだ。
小さな町で避ける様に行動するのは、面倒だし気が引けた。

喧嘩の時に殴られ腫れた頬を、虫歯で痛いのだと、私たちに話す姿は見て居られなかった。

日本に行って来た人と日本に行きたい人。共に仕事を探している。


次の日にはナガルコットのお祭りもあるらしく、もう一泊してけとみんなから勧められたが、予定より早くカトマンズへ戻る事にした。早々布団に入り、朝を待った。


出発の朝、ある人に「旅は前向きじゃないとね」と言われ、このタイミングもあってずいぶんと気が楽になったんだ。

憲さんにもちゃんと会えたしね。




つづく。

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